システム事業部第3 リーダー 北川

入る会社がことごとくブラックパワハラ企業。三度目の正直で入ったユースリーでも…?

システム事業部第3 リーダー 北川

内定取り消し、ウソの求人広告…試練の社会人デビュー。

大学の工学系の学部で学んだ私は、組込開発の会社に内定をもらっていました。しかし、3.11の東日本大震災の影響で内定取り消しの事態に。結果フリーターとして社会に出ることになってしまいました。

夏に回線の営業会社に就職することができたのですが、この会社でもまた試練に遭遇することに。求人広告で月額20万円で募集していたはずなのに、実際は10万円+インセンティブだったのです。回線のサービスは競合も激しく、インセンティブで稼ぐのは正直いって困難。これでは生活できないと思い、3ヶ月で退職しました。本当に「なんたる不運」と言いたくなる社会人デビューでした。

2社目で出会った、パワハラ上司。

次の会社こそは!と意気込んで入社した会社も、試練しかありませんでした。自分に付いた直属の上司が、パワハラそのものだったのです。その職場では書類を作ることが多かったのですが、上司からは「お前は新人なんだから手書きな」と強要されるのです。それで私が「PCで作った方が早いじゃん…」と思いながら、3時間かけて作った資料を見ると、その上司は「俺が言った内容と違う」と言い、私の目の前でシュレッダーにかけたり、ビリビリ破る始末。ただ呆然としていました。

この方は部下を持ったのが初めてだったのでしょう。でも教え方がわからず、自分の思い通りにならないことに対してイライラしていたのかもしれません。この会社も結局、1年7ヶ月で去りました。

ユースリーでは、過去の体験を活かしています。

3社目のユースリーが完璧な仕事環境か?と言えば、正直そうではないと思っています。実際、ある派遣先のプロジェクトで会議担当に指名されたのですが、先代からまったく引き継ぎがない状態でスタートするはめに。

何も知らない状態で議事録作成、司会をやることになったのですが、私は周囲の人間に聞きまくりながら会議担当をまっとうしました。それと私は、次に担当になる後輩が同じ思いをしないためにも、手順書を新たに作りました。実際、後輩に対しても、理解するまで何度も丁寧に指導するようにしました。

後輩と積極的にコミュニケーションを図ることも心がけています。このように周囲と関わりを持つ行動は、前職の反面教師かもしれません。自分が過去出会った「あの最悪な上司」には絶対にならないと。

今後もリーダーとして成長していきたい。

ユースリーに入るまで異業界にいた私自身の強みは、技術力よりも、マネジメントかなって思っています。今後も後輩や部下と積極的に関わり、勉強の場をつくるなどして、ユースリーへの帰社意識が高まる取り組みを行っていければと考えています。

現在はサーバチームのリーダーを任されており、新しいサーバを構築している最中。最高のパフォーマンスを発揮できるチームを作り上げるのが目先の目標です。