取締役 システム統括部長 十二村 裕

辛くても、投げ出さずにやりきる。たとえ失敗に終わっても、自分を育てる糧になる。

取締役 システム統括部長 十二村 裕

人生をひらくチャンスから逃げた自分。

私は20歳の頃、今の自分の仕事観に影響を与えるような経験をしました。当時一流のコックを目指していた私は、仕事にもやりがいをもって取り組んでいました。だから、もっと上手くなりたい、コックとして成功したいと思い、大きな希望をもってヨーロッパに修業に渡ったのです。

しかし、現地での仕事は思っていた以上に困難を極めました。毎月の給与はびっくりするほど安く、1日15時間以上の重労働。おまけに周りに本音で悩みを打ち明けられる人もいなく、ホームシックの状態に。やがてストレスで心が押しつぶされそうになってしまったのです。

そこで踏ん張っていれば、きっと何かしらの光が差したのかもしれません。でも私はそのチャンスに背を向け、日本に帰ってきてしまったのです。

もう逃げないと決めて、28歳でITの世界に。

料理で成功するチャンスから逃げ、私の心に残ったものは、ただただ虚無感のみでした。でも、落ち込んでばかりでは、いつまでたっても前に進むことはできません。私は新しい道として、未経験からITエンジニアを目指す道を選びました。もう二度と情けない思いをしたくなかったので、「目標を実現するためには、辛いことから逃げない!」「絶対にこの世界で稼いでやる!」という強い決意を胸にスタートしたことを覚えています。

入社して2年くらいは、土日もつぶして勉強しました。自分で言うのも何ですが、誰よりも勉強したのではないかと思います。

あきらめない気持ちが、技術力を磨く原動力になった。

未経験でITの世界に入ってからは、まさに苦難の連続でした。中でも大変だったのが、最初に入った会社で経験した金融系システムのプロジェクトです。金融系のシステムは、とにかく不具合・システムダウンなどの失敗が許されません。経験も知識も圧倒的に少ない私は、そんなシビアな現場で、ひたすらもみくちゃにされました。

目が回るほど忙しい現場でしたから、分からないことを周囲に聞いても全部は教えてもらえません。そもそも私自身が、何が分からないのかが分からない状態でしたから。休日もとにかく勉強に取り組みましたね。給料は多くありませんでしたが、先行投資という気持ちで月10冊(1冊3,000円くらいはした!涙)は教本を購入して勉強しました。

最初はまったく戦力になれていませんでしたが、あきらめずに取り組んだおかげで、最終的には担当者から感謝されるほどにまで成長できました。この経験があったからこそ、努力は必ず報われることを肌身で実感できたのです。

失敗、苦悩、挫折の大切さを若い人たちに伝えたい。

私は現在、取締役兼システム統括部長として、会社の将来に向けた種まきをしている真っ最中です。どうせ会社をやるのなら、サービスなり、人材なり、どこか光るものを持った集団にしていきたい。これは私が会社づくりにおいて描いているビジョンです。

光るものとは、個性や強みですが、光は暗闇と対比することで輝きを放つと思っています。暗闇とは、つまり失敗や苦悩、挫折です。だから私は暗闇を大切にしたいですし、光を放つまでやりきる大切さにスポットを当てていきたい。エリートじゃなくたって、全然かまわない。あきらめないで頑張れば、やがて自分ならではの個性を確立できる。そんなことを若いエンジニア達に伝え、オンリーワンの輝きを放つ会社づくりを目指していきたいと思っています。